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ニーマイヤーハウス生活1周年(1)

ミラノから、このベルリンのニーマイヤー・ハウスに引っ越してきたのは、ちょうど去年の昨日だった。私におけるニーマイヤー・ハウス生活一周年記念である。万歳三唱。

 

去年のほうが、気温はずっと低かったような気がするけれど、高い青空、同じ快晴。ミラノでの地獄のような引越しパッキングの日々を終えて、猫とサムソナイトとともに、このベルリンのニーマイヤーハウスの前に、タクシーで降り立ったときの、新鮮な冷たい空気のにおいと色は、今もよく覚えている。

 

このニーマイヤーハウスと呼ばれる、ブラジル人建築家オスカー・ニーマイヤー設計の集合住宅は、1957年のベルリン国際建築博覧会の際に、ベルリン・ハンザ・フィエテル地区に建てられた22棟のモデル住宅の中の1棟だ。この地区は、マックス・タウト、アルバー・アアルト、アルネ・ヤコブセン、ワルター・グロピウスなどによる集合住宅からなり、それが50年の時間を経て、ますます輝く傑作ばかり。夜になって、家々の大きな窓に明かりが入ると、建物のプロポーションは、さらにくっきりと浮かび上がる。それがあまりによくて、その場で地面にひれ伏してしまいたくなる。ここは、私にとっては、まさに建築美術館で、しばらくデザインの世界に浸っていたけれど、私は建築が大好きなのだなあ、と思い出し、これから少しずつ、私は建築に戻ってゆくのかな、ということを、かすかに、かすかにではあるけれど、予感している。

 

ミラノで500件以上の貸し家を見てまわり、橋場一男さんから、「不動産デカ」という栄誉あるタイトルをいただいた、16年間にわたる建築観察トレーニングのパワーが絶頂に達したのか、私の人生で長年の貯蓄した運が満期になったのか、今思えば、何かわからない不思議な力に引き寄せられるようにして、このニーマイヤーハウスの中の1件の貸家を見つけたのは、昨年の10月の半ばのこと。

 

客員教授として半年間ミラノから通っていたベルリン芸大で、さらに2年半の契約が決まったことがきっかけで、ベルリンへの引っ越しを決めたのだけれど、住まいを探すに当たっては、特別な建築を探していたわけではなくて、ミラノで鍛えた勘とメソッドだけをたよりに、まったく知らないベルリンの町を歩き回った。そして、3日目に、ここにたどり着いた。この3日間は、勘のアンテナを立てまくって歩いていたから、人のオーラが目に見えるなら、私は全身ハリネズミのようになって歩いていたと思う。

 

しかも、このアパートに、もう1件ついてきた候補は、なんと、ル・コルビジエのアビタシオン・ド・ユニテの最上階のフラットだった。それも、すべてオリジナルの部屋割り、家具のままで。ユニテの部屋は、鍵をもらって、一人で見に行ったのだけれど、この巨匠の2件の建築がベルリンの新しい住まいの候補、というのは、あまりに幸運が過ぎて、2件とも借りるわけにはいかないのはわかっていても、部屋の中でもう、万歳三唱しながら一人で踊るしかなかった。ユニテは、少し町の中心から離れていた。と言っても、ベルリン芸大まで電車で15分もかからないのだけれど、町のど真ん中の森の中、というニーマイヤーハウスの条件は、自分の理想そのものだったので、建築家として、これ以上の贅沢はないと思いつつ、ル・コルビジエを捨て、このニーマイヤーハウスに決めた。

 

正式な契約のためには、いろいろ書類をそろえなければいけないので、すぐには鍵をもらえなかったけれども、仮契約はすぐできた。部屋探しのために5日間、時間を確保していたのだけれど、3日目にはみつかってしまったので、あとの2日は、町のいろいろな場所へ行っては、そこから、この家に帰ってくるルート演習をした。まだ、借りていないのに、帰ってくる、というのもおかしいけれど、いろんなところからここに帰ってくる感じが、幸せだった。帰ってきては、部屋の窓を見上げて、早く入りたいなあ、と思った。

 

家の前の通りを渡る時、ベルリン天使の歌という映画に出てくる金色の天使の像、あれは、天使ではなくて、ビクトリアという勝利の女神なのだそうだけれど、それが、こちらにむかって、いってらっしゃーい、と手を振っているように見える。帰ってくるときは、おかえりなさーい、と手を振っている。ベルリンに引っ越す、とは決めたものの、本当に正しい決断なのかどうか、急にすべて間違えているような気がして、ときどきぐらぐらしていたが、この女神は、ここでいいのよ、と言ってくれているような気がした。

 

このビクトリアはとてもいい。ミラノにも、そこここに、キリストを抱いた聖母マリアの像があって、見守ってくれているようではあったけれど、いくら慈悲深いマリアさまとはいえ、やっぱり、自分の子供のほうが、外人の私より大事でしょうねえ、という感じがしていた。そこへゆくと、このビクトリアは、独立した女神である。私にぴったりではないか。宗教的な信仰心はほとんど持ち合わせていない私だから、自分の神様は自分で指名できる。YOU ARE MY GODDESS. このビクトリアは、ベルリンの私の守護神になった。

 

ベルリンに越してくるまでの1年近くは、ミラノからベルリン芸大に、月に一度通っていたから、次の11月の授業でベルリンに来たときに、正式な契約書を交わし鍵をもらった。そして、12月に入居する時、とりあえず絶対すぐに必要なもの-猫のトイレの砂とか、猫用のツナカンとか、自分の寝具一式を、準備した。だから、ミラノの生活をかたづけて、ここにたどり着いたときには、すでに、やっと家に帰ってきたよ、という気持ちだった。

 

ミラノからトラックで送った、重さ1000キロ、計108個の引越し荷物が届くのは、それから1週間後だったので、部屋はまだ空っぽだった。サムソナイトの中身を出して、猫のツナカンを開けたら、もう、とりたててすることもなかったので、ブーツを履き、厚いコートを着て、その上に、スキー用にもっていた毛糸の帽子、といういでたちで、外へ出た。家の前は、すぐに森である。森を抜けて、ビクトリアの像の立つ大きなロータリーへ出ると、ガラス張りのバス停があって、そのガラスに写っているのは、もうすっかりドイツ仕様の自分だった。

 

 

阿部 雅世 公式サイト www.macreation.org

 


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